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神が求めることは

31 7月

神が私たちに求めていることは何ですか。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。)

うーん、これは深い問いですね。

「神という存在」、「神という存在に造られたわたしたち人間」というものを見つめて、しっかりお考えになったとお察しします。そこから出て来た問いと思います。

この問いに対しては、人によって答えが異なるだろうと思います。そして、どんな答えをする人も、ひとことで言いきってしまうのは、難しいかもしれないと思います。たとえば、この問いを発する状況、場面が違うこともあるから、場面、場面において「今、神は何をわたしたちに求めておられるだろう」という問いへの答えも、変わってくると思うからです。

でも、ここでは、わたしなりにひとつのことに絞ってお答えします。

神が私たちに求めておられること、それはズバリ「信じること」だと思います。

その際、「幽霊を信じる」「UFOを信じる」というようなものとして、神という「存在」を信じるということではありません。そうではなく、「神というお方は、間違いない」「神というお方は、きっといちばん良いものを下さる」

「神というお方は、100%の愛をもってわたしたちのことを愛される」ということを信じる、ということです。

人間関係で言えば、「おまえのこと、信じてるぞ」という時の「信じる」に似ていると思います。だから、それは、どちらかというと、「信頼」に似ていると思います。

神を信頼する。それを、神は、わたしたちに求めておられる、と私は思います。そしてその「信じること(信仰)」が人間の救い、幸せに大きくかかわっているとわたしは思います。

そんな角度で、今後、講義で聖書の話、神様の話、信仰の話を聞いてくださるとよいと思います。

根本を考えたすばらしい質問!ありがとうございました。

*非常勤講師として講義を持たせていただいている大学の学生さん、チャプレンとして関わっている幼稚園、保育園の先生方、熊日聖書講座の受講生の方など、キリスト教ビギナーの方々から、さまざまな疑問を寄せていただいています。そこで交わされたQ&Aをこのコーナーではご紹介して行きたいと思います。

*そしてもちろんあなたからのご質問もお待ちしております。キリスト教に関すること、聖書に関すること、なんでも結構です。牧師メール宛、送ってください。

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地獄を信じるか

18 7月

先生は地獄を信じますか。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、死について学ばれたときに。)

先生は地獄を信じますか。と書かれていますが、私が信じているのは聖書なのです。聖書がどう教えるかどうか、だけです。聖書と関係のないところで、信じるも信じないもないのです。

では、聖書はどう語っているか。実は微妙なのです。地獄という言葉は出てきます。その概念は確かにあるようです。でも「○○なら地獄に行くぞ」という発想はちょっと違うようです。

私はこう考えています。すくなくともこの地上に生きる人間として、「○○をするような者は地獄へ行くのだ」「○○しない者は救われない」などと言うのは、人間の語ることではないのだ、と。だから、聖書はそこを微妙に書いているのだと思います。

天国と同様に、地獄・・・あるかもしれません。でも、あるとしても、そこへ誰が行くのか、それは神のお決めになることです。私たちのだれも判断はできません。

私たち人間に語ることがゆるされていることは、「○○は救われる」ということだけだと思います。「○○しないなら救われない」と言うのは、人間の領域ではないことだと思いますし、それに、そんなことを言えば、ただの脅しにしかならないと思います。

地獄を信じている人(またこれを強調する人)は、つまり、その地獄に行く人の条件も一緒に考えてしまうと思います。

でも、それはしちゃいけないことのように思います。だから、わたしは(そして多くの牧師がそうだと思いますが)救いや天国は語りますが、地獄は語りません。それは語っても、意味のないことだと思うからです。

*非常勤講師として講義を持たせていただいている大学の学生さん、チャプレンとして関わっている幼稚園、保育園の先生方、熊日聖書講座の受講生の方など、キリスト教ビギナーの方々から、さまざまな疑問を寄せていただいています。そこで交わされたQ&Aをこのコーナーではご紹介して行きたいと思います。

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葬儀はいくらかかる

14 7月

お金の話になってしまうのですが、教会で葬式をする場合はどのくらいかかりますか。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、葬儀について学ばれたときに。)

正直な質問ですね。いいです、いいです、いい質問です。

これは教会によります。

神水教会の場合、通夜、葬式あわせて20万円です。ここにすべて入っています(礼拝堂使用料、牧師謝礼、オルガニスト謝礼、など。あとになって、他にあれこれ、は一切ありません。)。

ただしそれは「お値段」ではなくて、「目安」としてお伝えしております。

冠婚葬祭というのは、物を買うのと違って、お値段がついているのはちょっと違和感があるし、「いくら払わないとだめだ」というのも宗教としてしっくりこないですし、かといって、いくら位にしたらよいか全く分からないのも気持ち悪いので、神水教会では「目安」としてこの金額をご紹介しています。

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パンを食べちゃいました

6 7月

私が高校の時、礼拝に参加するという課題が出ました。その時の記憶ははっきりではありませんが、パンを食べてしまった記憶があります。私は洗礼を受けていません…。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、洗礼について学ばれたときに。)

あはは、それはあなたの責任ではありません。ちゃんと確認をしなかった司式者(牧師or神父)がいけません。

神水教会でも(どこでも)聖餐式を行って、そこに並ぶ人々を見て、牧師は普段見かけない方がいれば、「洗礼を受けていますか」と尋ねます。洗礼を受けている人であれば、「はい、○○教会の信徒です」くらいのことを言います。受けていない人であれば、「いいえ」と答えたり、よく分からない顔をなさったりします。よく分からないということは、信者ではない人ということですから、聖餐の代わりに祝福を祈ります。

まあ、でも、人間のやることですから、間違いは起ります。私も以前、あまりにも堂々と、平気な顔で受け取る方がいて、後で聞いたら、洗礼の意味も知らない人だったと分かったことがあって「あちゃぁ、やっちゃった」と思いました。

もう一度書きます。それはあなたの責任ではありません。ご心配なく。ただ今後はもし同じような場面になったら、「私は洗礼を受けていません」とおっしゃっていただければと思います。よく正直に書いてくださいました。

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なぜイエスが受洗

2 7月

イエスさまがバプテスマを受けたということは、何か罪を犯していたのでしょうか。それとも逆に人の模範として、お手本としてバプテスマを受けたみたいな感じなのでしょうか。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、洗礼について学ばれたときに。特にイエスの洗礼の記事を読んで)

GREAT!!素晴らしい気づきです。よく気づきました!

洗礼は罪の赦しのためのもの。であれば、神の御子には必要ないはず。疑問に思われた通りです。

それで、マタイ福音書3章のところを読むと、洗礼者ヨハネは、民衆と一緒にイエスが来られた時、躊躇したと書かれています。「わたしがあなたから洗礼を受けるならわかるけど、わたしがあなたに洗礼を授けるのですか」と言って。・・・わたしが同じ立場でも同じことを言ったと思います。もしも、神水教会にイエスさまが来られて、洗礼を受けさせてください、と言われたら、「いや、ちょっと待ってください。立場が逆ですよ」と言うだろうと思います。

でも、それは「正しいこと」とイエスはおっしゃいました。

あなたがおっしゃるように、「お手本」の意味も確かにあったと思います。イエスも洗礼を受けられた。ひざまずいて、水の中に身を浸して、洗礼を受けられた。それを見た人々は、心して洗礼を受けねば、と思ったことと思います。

と同時にもうひとつの大きな意味があります。それは神の御子(イエス)が「わたしたちと同じ者になられた」ということです。

ひざまずいて民衆と一緒に洗礼を受けるお姿を通して、神は、私たちを高い所からご覧になっている御方ではなくて、「いつもあなたと共にいるんだよ」ということを示してくださいました。

そもそも神の御子が、天から龍のように降りて来るのではなくて、赤ん坊の姿で一人の女性(マリア)のおなかから生まれてきたこともそうです。

神は、私たちを天の上から手を出してヒョイっと救ったり、あるいは上から見下ろす恐い裁判官のように見つめるのではなくて、「私はあなたのそばにいるよ」という約束を「救いのしるし」として届けてくださったのです。

イエスの洗礼は、そのことをわたしたちにはっきりと示すひとつの出来事でした。

素晴らしいご質問です。おかげでキリスト教の神髄を語ることになりました。ありがとう!

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説教は「お説教」ではなかった

23 6月

説教と聞くと、「怒られる」というイメージだが、「聖書の説きあかし」だと初めて知った。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、礼拝について学ばれたときに)

こちらは質問ではありませんが、いいところをご指摘くださったので、紹介します。

おっしゃる通りですね。同じような感覚を持っている人は結構いらっしゃると思います。

「説教」(英語でpreachまたはsermon)は、日本語で「説教」と訳されて、現代にまで受け継がれていますが、先生や親が子供を叱る時の「お説教」と混同しそうですよね。

それで「メッセージ」と呼ぶこともあります。

礼拝での聖書の説きあかしを「説教」と呼ぶ。キリスト教用語のひとつとご理解ください。

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身勝手な人間もなぜ救われる

9 6月

神はどうして身勝手な人間にも手を差し伸べ続けるのですか。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。聖書の中で、罪人が救われるできごとを学びつつ・・・)

「身勝手な人」「悪い人」・・・確かに、私たちが生きる世界において、後ろ指さされるような人がいたり、あるいは警察に捕まるような犯罪に手を染めてしまった人たちもいます。そういう人たちが「身勝手な人」「悪い人」であるとして、では、「他の人は?」「わたしは?」と考える。

「わたしは、決して警察に捕まるようなことはしていないし、わがままばかり言わず、いちおうそれなりに我慢しているし…」と考える。

そう思う時に、「神はどうして身勝手な人間にも手を差し伸べ続けるのですか。」という疑問が出て来るかもしれません。

さて、でも、「では、あなたは本当に身勝手ではありませんか」「あなたには身勝手なところがありませんか」と問われたらどうでしょう。

これに「絶対に、わたしは身勝手ではありません!」と言える人はいるでしょうか。そう答える人がいたら、その人は、かえってよほど周りに迷惑をかけて、気づかない人であろうと思います。

私たちは大なり小なり、わがままで、自分勝手で、自己中心で、人のことより自分がかわいくて、困っている人がいてもまずは自分の身の安全が大事で、顔はさわやかにしてても心の中では欲望が渦巻いていて・・・といえるのではないでしょうか。

神が身勝手な人に手を差し伸べないとすれば、もう地球上の全員が見捨てられることになります。

神はなぜ身勝手なわたしにも手を差し伸べられるか。答え:神があなたを愛しておられるから、です。

なぜ王女はモーセを助けたの?

30 5月

なぜファラオの王女はモーセを助け生かしておいたのか疑問に思った。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、出エジプト記を学ばれたときに)

王女は、たまたまモーセが捨てられようとしている所に遭遇しました。いきさつは出エジプト記2章を読んでくださればわかります。

お父さんであるファラオは男子殺害命令を下しました。(この日、講義で学んだ)「神への畏れ」を持つかどうかは別にして、「その命令はひどい」と思っていた人は決して少なくなかったと思います。ひとりの赤ちゃんが泣いている。その泣き声を聞いて、「なんとかしたい」という気持ちになる。掟を破って王宮に連れて行ってこの子を育てよう。

・・・ファラオの王女も一人の女性です。母性本能も働いたのではないでしょうか。

あるいは王宮の中でひょっとしたら、

ファラオ「おい、お前、その子供、どこの子供だ」

王女「わたしのやることに、いちいち文句言わないでよ。私ももう子供じゃないんだから。そもそもパパのやるやり方、めちゃくちゃよ。わたしは子供を殺すなんてゆるせない」

ファラオ「ムムム・・・、生意気言いおって。勝手にしろ。」

なんて会話があったかもしれません。

あなたが王女の立場だったら、目の前にいる捨て子をほうっておきますか?

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病気も神の創造か

19 5月

神がすべてを造られたのなら、ガンなどの有害なものも造られたのか、もしそうならその意図が気になった。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、創世記の天地万物を学ばれたときに)

基本的に、創世記に書かれているように、神がお造りになったのは、天と地と、そこにあるもの、そこに生きるものです。

では、病気は?・・・微妙な事柄だなと思います。というのは、人間にはコントロールできない病気などもあれば、人間の生活のゆえに生まれたものもあると思えるからです。たとえばタバコの吸い過ぎによって肺がんになったのなら、それは「神が造られた」と言って神さまのせいにしてしまうのはちょっと違うでしょう、と思えます。風邪をひいたというのも、ちゃんと早寝早起きせず、夜更かしばかりしていて風邪をひいたというのなら、神さまのせいではなく、人間の側の責任だろうと思えます。

あちこちの災害などにおいても、「実は人災だった」と聞かれるものは多い、と思います。創世記の1章で神が人間をお造りになられた際、神は人間にこの世界をしっかり治めるようにと託しておられます。与えられた世界(自然)を、人間が、人間だけに与えられた英知で守って行く、共存して行くことを神はお望みだと分かります。

それに対して、人間が畏れを失い、好き勝手にやり始める・・・そこからさまざまな人災が起こっているように、わたしには思えますがいかがでしょう。

でも、もちろん人災によらず、生まれる病気や障がいなどもあります。それはどうなのか。

病気に限らず、神さまは、この世界を「簡単に生きて行ける楽園」のようにお造りになることはお望みではないようにわたしは思います。

「とにかく、何も問題なく、病気もせず、自然災害も起こらず、人間関係のトラブルも生じず、無事に生まれて、無事に生きて、長寿を全うしていく」…という世界を神はお望みではないように思うのです。わたしはだから、「健康第一」というような標語を耳にするとき、違和感をおぼえます。体が健康でも、不健康な生き方をしている人は多い、むしろ体が健康でなくてもしっかりと生きておられる人はいっぱいおられる、と思うからです。

この世の人間の基準は、よく考えなおさないといけないのではないかと思っています。「無事に」「安全に」「健康に」生きて行くことだけが私たちの生きる目的ではないことを教えているようにわたしには思えます。

もっと大切なことがあるのだよ、ということに気づかせようとしておられる気がします。

それは何か。創造者である神を知って、このお方への信仰をもって生きて行くこと、とわたしは思っています。

星野富弘さんという方のことはご存じでしょうか?体育の先生でありながら、不慮の事故で首から下が全く動かない体になられました。でも、その体になって、生きる意味を考えて行く中で、星野さんは、聖書を読み、神を知り、クリスチャンになられました。そして、口に筆をくわえ、素晴らしい絵を描いておられます。

体が健康でも、少しも幸せでない人もたくさんいますよね。

何が人間にとって大事なのか?

いつでも考えるよう(見つけるよう)、神様は、私たちを招いておられるとわたしは思います。

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創造の目的

11 5月

神さまが創造を始めた目的は何ですか。

(九州ルーテル学院大の学生さんより。講義で、創世記の天地万物を学ばれたときに)

いい質問ですねー!哲学してくださった。物事は常に「根本」を考えるのが大事です。

神さまに尋ねないと本当のところはわかりませんが、わたしなりに聖書を読みながら、出した答えは以下の通りです。

ヨハネの手紙一4:16に、「神は愛です」という言葉があります。神というお方は愛そのもの、また愛の源泉だと語っている一言です。

愛は、対象がいて愛です。誰とも出会わず、誰とも知り合いにならず、愛は生まれません。愛は相手に対していだくものです。

神は愛という存在であるから、必然的に、愛する対象をお造りになった。これが簡単に言えば、答えです。

そしてこれは逆に言えば、「わたしたちはなぜ生まれてきたのか?」「愛されるためです」という答えを導き出します。今の私が至った答えです

*非常勤講師として講義を持たせていただいている大学の学生さん、チャプレンとして関わっている幼稚園、保育園の先生方、熊日聖書講座の受講生の方など、キリスト教ビギナーの方々から、さまざまな疑問を寄せていただいています。そこで交わされたQ&Aをこのコーナーではご紹介して行きたいと思います。

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